駆逐艦『涼月』


▼ページ最下部
001 2012/06/16(土) 14:08:30 ID:EmqR4uIkXY
最期…
天一号作戦で命中弾により火災が発生し、海図も全て焼失。通信装置を失い、ジャイロコンパスも破損した。
この時点で第一罐室が浸水放棄されたが機関部人員に被害はなく、第二罐室による20ノットが発揮可能だった。
さらに操艦不能になった「大和」と衝突しかけたが、後進をかけることで衝突は回避された。
「大和」沈没後14時30分頃から単艦で帰投開始。通信装置は破損しており、作戦中止命令は受信できなかった。
本艦は被弾により艦首が沈下しており、前進すると船体が潜ってしまう状態だった。そこで機関長は「後進強速黒二〇」の紙を機械室や罐室にはりつけた。
9ノットの速力を安定して発揮。
海図もコンパスも失っていながらも、日本本土へ向かった。
14時55分に「右舷至近弾大破火災 目下消火中」と打電したものの、火災が一晩中鎮火しなかった為、アメリカ潜水艦に発見される事を誰もが恐れていたという。
ついに佐世保へ。
帰着が遅く、すでに沈没してしまったと思われていたが、突然の帰還に佐世保海軍工廠はサイレンを鳴らして歓迎した。
しかし、前方への浸水が大で係留中にも浸水が止まらなかったので、大急ぎでタグボートを手配されて18時30分に第七船渠に収容することができたが、排水を待ちきれず第七船渠内で着座してしまった。
『『大破した前方区画のうち、前部弾薬庫は区画内部から防水処置がされたため沈没を免れる。自らの脱出口を絶ってまで気密を保つ作業を行った【3名の乗員】は、後に酸欠死している状態で発見された。』
戦後は損傷のため復員輸送艦としては使用されず、昭和23年4月から5月にかけて旧佐世保海軍工廠の佐世保船舶工業で解体。
船体は「冬月」、「柳」とともに福岡県北九州市若松区若松港の防波堤として利用された。
現地では軍艦防波堤と呼ばれたが、その後埋められた。
戦争を通じて三度の被害にあったがいずれも生還し、秋月型駆逐艦の中で一番の長命であった。

返信する

※省略されてます すべて表示...
011 2012/11/16(金) 13:19:21 ID:xJBSWzHNdc
民主的な選挙で民主のやつらを民主的に葬ってやるぜ!

返信する

012 2012/11/29(木) 18:43:36 ID:V0aKVYd6Cw
>>11
で「日本なんかどうなっても良い」って発言した人が政調会長やってる党に入れるのか

返信する

013 2013/04/07(日) 19:15:25 ID:1611.dwVVE
冬月と涼月掘り起して

返信する

014 2013/04/07(日) 21:53:40 ID:x4WXDgxPIk
今日、行ってきました。

返信する

015 2013/05/13(月) 14:55:22 ID:49VMiOH4jY
行ってきたよ。

海上自衛隊の人が涼月の甲板の一部がコンクリから露出している
と言っていたが、どこの部分か分からなかった。

返信する

016 2024/03/18(月) 00:01:35 ID:AtxxYCv0pI
火災で焼失かぁ. . .

タバコの火の消し忘れよりマシか・・・?

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:6 KB 有効レス数:16 削除レス数:0





船掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:駆逐艦『涼月』

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)